一千一秒物語(いっせんいちびょうものがたり)とは、稲垣足穂の小説。掌編集の形をとる。 高速バス 「一千一秒物語」は稲垣足穂が17歳頃から書き始めた掌編群であり、作家として活動する以前の1921年、佐藤春夫に送った原稿も「一千一秒物語」の原型である。 夜行バス 合計200編ほどが書かれたが、1923年、金星堂より単行本『一千一秒物語』を刊行する際、68編を自選。1957年には70編に改訂されている。 高速バス 稲垣足穂の小説のうちで、もっとも著名なもののひとつであり、現在は新潮文庫やちくま文庫におさめられている。また、絵本になったこともある。「こののちの私の作はすべて、一千一秒物語の註である」という意味のことをも、足穂本人に言わしめた。 夜行バス [編集] 概要 掌編群よりなるみじかい小説であり、お月様、流星、シガレット、等が頻繁に登場する。ストーリーはおしなべてファンタスティックであり、坂道でポケットからじぶんをおとしてしまった、等、現実ばなれしたものも多い。物語のなかには、足穂がのちにもおなじテーマを繰り返して小説に書いたものがいくつもあり、登場する小道具もこののちの足穂の小説に繰り返して用いられるので、「一千一秒物語」は稲垣足穂の小説の原型をなすものと言える。1920年頃という昔に書かれたものとは思えないくらいの、モダンで硬質な文章も特徴であり、そのため、もともとは旧字旧かなで書かれていたことが信じられないという人もある。 ダイビング 1957年改訂後の70編は以下の通り。 月から出た人 星をひろった話 投石事件 流星と格闘した話 ハーモニカを盗まれた話 ある夜倉庫のかげで聞いた話 月とシガレット お月さんとけんかした話 A MEMORY A PUZZLE A CHILDREN'S SONG 月光鬼語 ある晩の出来事 IT'S NOTHING ELSE SOMETHING BLACK 黒猫のしっぽを切った話 突きとばされた話 はねとばされた話 押し出された話 キスした人 霧にだまされた話 ポケットの中の月 なげいて帰った者 雨を射ち止めた話 月光密造者 箒星を獲りに行った話 星を食べた話 AN INCIDENT IN THE CONCERT TOUR DU CHAT-NOIR 星?花火? ガス燈とつかみ合いをした話 自分を落してしまった話 星でパンをこしらえた話 星におそわれた話 はたして月へ行けたか? 水道へ突き落された話 月をあげる人 THE MOONMAN 北海道旅行 ココアのいたずら 電燈の下をへんなものが通った話 月のサーカス THE MOONRIDERS 煙突から投げこまれた話 A RWILIGHT EPISODE 黒猫を射ち落した話 コーモリの家 散歩前 THE BLACK COMET CLUB 友だちがお月様に変った話 見てきたようなことを云う人 AN INCIDENT AT A STREET CORNER A HOLD UP 沖縄旅行 銀河からの手紙 THE WEDDING CEREMONY 自分によく似た人 真夜中の訪問者 ニュウヨークから帰ってきた人の話 月の客人 どうして酔よりさめたか? A ROC ON A PAVEMENT 黒い箱 月夜のプロージット 赤鉛筆の由来 土星が三つ出来た話 お月様をたべた話 お月様が三角になった話 星と無頼漢 沖縄旅行 はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたか? どうして彼は喫煙家になったか? A MOONSHINE 稲垣 足穂(いながき たるほ[1]、1900年12月26日 - 1977年10月25日)は、日本の小説家。 北海道旅行 大正時代から昭和時代にかけて、抽象志向と飛行願望・メカニズム愛好と不毛なエロティシズム・天体とオブジェ[2]などをモチーフにした数々の作品を発表。小説家になる前に前衛芸術家を志望していた経歴もあり、凝った装幀の本が多い。代表作は『一千一秒物語』、『弥勒』など。 沖縄 レンタカー 目次 [非表示] 1 生涯 2 評価 3 著作 4 参考文献 5 注釈 6 関連項目 [編集] 生涯 1900年、大阪市船場に歯科医の次男として生まれる。小学生の時、祖父母のいる明石に移住し、神戸で育つ。1914年関西学院普通部に入学。関西学院では今東光などと同級になる。小さいころから、映画や飛行機などに魅了され、その経験をその後の作品に昇華させる。在学時に同人誌『飛行画報』を創刊。 沖縄旅行 レンタカー 1919年関西学院卒業後、上京。当初は飛行家を目指し、「日本飛行機学校」の第一期生に応募するが近視のため不合格(ちなみに、この時の合格者に円谷英二がいる)となり断念。神戸で複葉機製作に携わる。後に再び東京へ。 札幌 ビジネスホテル 1919年に出版社に原稿を送った後、1921年、佐藤春夫に「一千一秒物語」の原型を送付、佐藤の知遇を得て、佐藤の弟の住まいに転居。第1回未来派展に出品している。1922年には、「チョコレット」「星を造る人」を『婦人公論』に発表。1923年に、『一千一秒物語』を金星堂より刊行。同年、関東大震災により西巣鴨に移る。 石垣 ホテル この前後、雑誌『文藝春秋』『新潮』『新青年』を中心に作品を発表、単行本も『星を売る店』(1926年)、『天体嗜好症』(1928年)と数冊ほど刊行され、新感覚派の一角とみなされる。 石垣島 宿泊 「WC」は横光利一の絶賛を得る。『文芸時代』同人。このころには、自身と同じく同性愛研究家でもあった江戸川乱歩と出会う。 高速バス 格安 ところが、佐藤春夫が菊池寛の作品を褒めたことにより「文藝春秋のラッパ吹き」と佐藤を罵倒、寄宿していた佐藤春夫の家を飛び出し、文壇から遠ざかる。1930年、家郷の明石へ。 高速バス 大阪 1934年には父の死を受け、衣装店を経営するが、共同経営者の使い込みが発覚して、これを単独経営にするが、これも差し押えられ、その後は、家賃の未払などもあって、各所を転々とする。 高速バス 京都 アルコール、ニコチン中毒により執筆も滞ったが、同時期伊藤整、石川淳と交友を結ぶ。文壇から離れた後は、主に同人誌で作品を発表しつづけたが、極貧の生活を送り、出版社からも距離を取られることになる。 高速バス 神戸 1950年、篠原志代と結婚、京都に移る。それまでの著作の改稿を始め、『作家』に160編など精力的に作品を発表。佐藤没後の1968年、三島由紀夫の後押しで『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞を受賞。1969年から『稲垣足穂大全』(全6巻)が刊行され、一種の「タルホ」ブームが起きる。 1977年10月25日、結腸癌で入院していた病院で急性肺炎を併発し、死去。享年76。 高速バス 東京 [編集] 評価 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 人間を口から肛門にいたるひとつの筒と見立てた怪作「A感覚とV感覚」については、澁澤龍彦が独自の一元的エロス論として評価した。戦後に入っては、松岡正剛、荒俣宏など、多くの人から尊敬を集めることになり、特に「一千一秒物語」の評価は高い。 高速バス 関西 彼は、すべての自作を処女作「一千一秒物語」の注釈であると宣言し、その後の多くの作品は何度も改稿したが、この作品だけは改稿することがなかった。1998年には、英語で「一千一秒物語」が刊行されている。 夜行バス 格安 [編集] 著作 一千一秒物語 (1923年1月金星堂) チョコレット (1922年2月『婦人公論』) 黄漠奇聞 (1923年2月『中央公論』) 星を売る店 (1923年7月『中央公論』) 天体嗜好症 (1926年4月『女性』) ヰタ マキニカリス ヒコーキ野郎たち 夜行バス 大阪 弥勒 (1940年11月『新潮』) 彼等 (1946年7月『新潮』) 美のはかなさ (1952年8月『作家』) A感覚とV感覚 (1954年7〜9月『群像』) ヴァニラとマニラ 少年愛の美学 戦争童話集 びっくりしたお父さん 人生は短く芸術は長し 誰にも似ないように(ダンディの原理について) 随筆 ウィタ・マキニカリス 僕の弥勒浄土 横寺日記 夜行バス 京都 古典物語 鼻高天狗はニセ天狗 唯美主義の回顧 男と女 キャプテン・カポロを送る 黒い箱 ヒコーキ野郎たち 機械学宣言 地を匍う飛行機と飛行する蒸気機関車 タルホ=コスモロジー パテェの赤い雄鶏を求めて 菫色のANUS ミシンと蝙蝠傘 夜行バス 神戸 タルホ座流星群 男性における道徳 宝石を見詰める女 まりのるうにい装幀・装画 人間人形時代 東京きらきら日誌 生活に夢を持っていない人々のための童話 [編集] 参考文献 別冊新評 『稲垣足穂の世界』(1977年、新評社) 夜行バス 東京 [編集] 注釈 ^ 他名義にイナガキタルホ、多留保、INAGUAQUI TARUPHO。 ^ 澁澤龍彦の稲垣評「星の王さま」から。別冊新評稲垣足穂の世界(1977年、新評社) 夜行バス 関西 [編集] 関連項目 宮本正清 三島由紀夫 澁澤龍彦 神戸文学館